ただ面倒なことこそが生きるということ
お題「#この1年の変化 」
私にはこの約1年で大きな変化があったので、これを機にお題に乗っかって記録したいと思います。
約1年前の引っ越し
私は1年と少し前に今の家に引っ越してきました。
きっかけは息子の誕生です。借りていたマンションが手狭になり、息子の泣き声や後々の足音なども気になるだろうと予想し戸建てに引っ越しました。
ちょうどコロナが本格化する前だったので、緊急事態宣言中の引っ越しとならずタイミングが良かったかなと思っています。
引っ越し前まで住んでいた環境
それまで住んでいたのは駅の目の前のマンション。
私は生まれてからそれまで、マンションにしか住んだことがありませんでした。駅から近く、面倒見の良い管理人さんがいて、宅配ボックスがあって荷物はいつでも受け取れて、ゴミは24時間いつでも捨てられて、駐車場は屋内、そんな生活しかしたことがありませんでした。
そしてご近所付き合いはほとんどなく、顔を合わせれば挨拶する程度。お隣さんまでは引っ越しのときに挨拶に行ってギリギリわかりますが、その隣となると何となくしかわかりません。住んでいる人もコロコロ変わるし、自分も長くは住まないので、深い付き合いになる事はありませんでした。それぐらいがちょうどいいと思っておりとても心地のよい環境でした。
それまでの戸建てに対するイメージ
戸建てに住むと言ったら、駅まで遠く、買い物も不便、家のメンテナンスなど自分でやらなければならないことが増える、などのメリットの少ない非効率な生活だと思っていました。
そして何よりご近所付き合いのイメージ。町内会に入ったり、町内のお掃除をしなければならなかったり、近所のおばちゃんにゴミの出し方で文句を言われたり、きっとそんなことがよくあるんだろうと漠然と思っていました。
ですのではじめての戸建て生活には少し抵抗がありましたが、すべては息子のためと半ば我慢した状態で引っ越してきました。
引っ越し後の変化
ご近所さんとの出会い
引っ越し作業が終わると、早速生まれたばかりの息子を連れて夫と一緒にご近所に挨拶に行きました。
挨拶に伺った全てのお宅で、赤ちゃんの存在にとても喜んでくださり、赤ちゃんパワーは凄いと思い知りました。それからご近所さんに会うと老若男女みんなとびきりの笑顔で息子に寄ってきて、ちょっとした世間話をして別れる、といった具合です。
ゴミ出しやちょっと外に出たときなどにも、笑顔で挨拶を交わし、とても良い人たちに恵まれたと思っています。
困ったときはお互い様
親切に触れて戸惑う
第二子を妊娠し、お腹の膨らみも目立ってきた真夏の頃、無理のない範囲で家の周りの雑草を抜いていました。その姿を見かけた隣の家に住むおばあさんが、慌てて道具を手に私の元に飛んできて、私には除去した雑草を袋に詰める作業だけをさせ、1番大変な雑草を抜く作業をやってくださいました。
また別の日には、家の外の木の枝が伸びすぎてしまったのを少し無理した体勢で切っていたところ、ご近所の旦那さんが専用のハサミを持ってきて代わりにやってくださいました。
さらに掃除をしていた時にはケルヒャーを持ってきてくださって一瞬できれいにしてくれたりと、びっくりするほど良くしていただいています。
最初は、こんな親切にしてもらってどうしようと、もちろん嬉しいながらも戸惑いにも似た気持ちになっていました。だんだんと生活に慣れ、今ではこれがご近所の助け合い、お互い様精神なんだなぁと感じています。何か困ったことがあれば、できる範囲で助け合う、当たり前のようなことに聞こえますがお恥ずかしながら私にとってはそれまで経験がなかったことでした。
今では、たとえ小さなことでも、私にもできることはさせてもらおうと心がけています。
私の中の変化
最初は面倒なだけだと思っていた家の手入れ、ゴミ捨て場などの町内共用部分の掃除、ご近所さんとの挨拶や他愛のない世間話。毎回毎回皆さんが笑顔で生き生きとやっていることにも影響されたのだと思いますが、本来暮らしていくというのはそういうことをしっかりやっていくということなのではないかと思い至りました。
少し大げさかもしれませんが、生きていくということは今まで面倒に思っていたことこそが主役なのではないかと。
もちろん産後や、育休が終わり復職した頃になれば、ファミリーサポートや家事代行などの人にお願いすることも多くなり、自分でやる事は少なくすると思います。しかし、こういった日々の暮らしに対する考え方が変わったことで、お願いする人への感謝の想いも変わってきたと自覚しました。
さいごに
私の言いたかったことは、洗濯機があるのに洗濯板で服を洗った方が良いとか、綺麗に出来上がった商品が安く買えるのに手作りした方がよいとか、そういうことではありません。利用できる便利グッズは利用して、外注できることは外注し、不得意なことは得意な人に助けてもらっていくべきだと思っています。
それまでただの面倒なこと、煩わしいこととしか思っていなかった日々の大切なことを、できる範囲で楽しみながら、助け合いながら生きていきたいと思っています。